解脱会員であるならば、自宅で天茶供養、各支部で御秘法お浄めや御五法修行をさせて頂いています。今回は、金剛様が我々会員に残してくださった「秘義三法」の中でも、天茶供養に対する感謝の意をについて語りたいと思います。
当たり前になってはいけない
金剛さまが残された「秘義三法」は、とても神秘的であり、たいへん尊いものです。
基本的に、御秘法と御五法修行は各会員の所属している支部でさせていただきますが、天茶供養は各家庭でさせていただけます。毎日、御先祖様の供養ができるのです。こんなにありがたいことはないです。私も日常的にさせていただいております。しかし、気軽にできるが故に、天茶供養ができることへの感謝の気持ちが薄れがちになってしまっていることに気づきかました。
天茶供養を行う前に、御神前でこれから尊き天茶供養をさせていただくことを申し上げます。この時、「只今より、天茶供養をさせていただきます」と天神地祇大神さまと五智如来さま、解脱金剛さまにご挨拶します。そして、終了後には「天茶供養をさせていただいてありがとうございました」と御礼を申し上げています。ですので、感謝の言葉自体は必然的に捧げています。
しかし、毎日のように行なっていると、言葉では感謝を口にしつつも心からの感謝をしているだろうかと考えると、反省しなければなりません。特に、解脱金剛さまへの感謝の心が足らないと感じました。御霊名が書かれ、尊き御五法が朱色で記された木の札に、天茶を注ぎながら般若心経を唱えることで先祖等の供養ができる。この独特の供養法を我々会員に教えてくれたのは誰なのか?
それはもちろん解脱金剛さまです。先祖供養が自分でできる、それも自宅にいながらできるなんて、こんなにありがたいことはないのです。ですから、天茶供養をさせていただく度に金剛さまへの心からの感謝を忘れてはならないのです。当たり前になってはいけないのです。
本来の意義を忘れるな
天茶供養への、そして金剛さまへの感謝の気持ちは、解脱会員であれば無いなんて人はいないはずです。にもかかわらず忘れたしまうのはどうしてなのか?
それはおそらく、「日常的な繰り返し」が大きな要因になっていると思います。
天茶供養でいえば、毎日のようにさせていただくうちに、いつの間にか「日常的な繰り返し」になり本来の感謝の心が薄れてしまうのだと思います。これはどんな事にも言えると思います。例えば、新しく習い事を始めた頃は、教えてもらったことを忘れないよう心がけ、間違わないように注意しながら実行するものです。しかし、慣れてくると、そういった初心は薄れていき惰性的になっていきます。これではいけない、まさに「初心忘るべからず」です。
気軽に毎日家庭で行える天茶供養ではありますが、絶対に惰性的になってはいけないのです。御先祖さまには今日一日の命があることの喜びを伝え、解脱金剛さまには今日も尊き天茶供養をさせていただくことへの感謝を捧げる。
「日常的な繰り返し」の中であっても、本来の意義をしっかりと胸に据えて行なっていきたいものです。
かしこ
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