世間では『毒親』なんていう言葉がもてはやされています。 そんな『毒親』ですが、二つのパターンに分かれると思います。
一つは害悪としか言いようがない毒親。
もう一つは自我が強いために間違ってしまう毒親。
私も2人の子供を持つ親ですが、子供から見たら結構な毒親な面もあったと反省するところがありますが、そんな毒親と呼ばれる方達へのメッセージを語りたいと思います。
害悪としか言いようがない毒親
まずは何と言っても暴力を振るう毒親です。
暴力と言っても、悪いことをしたらお尻を叩いたり、頭にゲンコツを喰らわすくらいの昭和的な制裁はある程度いいと思います(最近ではこれですら批判されているが)。私も本当に悪いことをしたらこれくらいのことは教育としてしてきました。子供も叩かれた痛みから間違ったことをしたと学べるはずです。
しかし、教育のためだと喚き散らし、怪我をするまで殴りつけたり熱湯のシャワーを浴びせるのは、もはや教育ではありません。これは児童虐待です、親として人として絶対にしてはならない行為です。 ましてや、性的虐待など絶対にあってはならないことです。でも、残念なことにこの手の児童虐待の実態は、現代社会において存在します。特に、ニュース等で連れ子に対する暴力記事をちょくちょく見かけますが、実に嘆かわしいことです😣
このような害悪としか言いようがない毒親たちは、救いようがないと思います。
ただ、一つ言えるのは、このような毒親たちは自分が幼少の頃に同じような虐待を受けてきたか、そうではなくても親からの真心の愛情を受けてこなかったことは、間違い無いと思います。
そう考えれば、実に可哀想な人たちなのだと思います。しかしながら、親の悪い癖を間に受けて育ち、また同じ過ちを自らの手で繰り返してしまうのですから、因果律とは絶対であり、且つ怖いものだと思います。
しかし、親から虐待を受けた人が必ずしもこのような行為をするわけではありません。 では、どういう人が改心できたかというと、「親の悪い癖は自分にもあるが、自分の代で改めよう」という自己反省がしっかりとでなされた人です。口で言うのは簡単ですが、実行するのは容易なことではありません。 このような親から受け継いだ悪い癖は、解脱会の勉強をしっかりと学ばせていただかないと、なかなか改めるのは難しいでしょう。
自我が強いために間違ってしまう毒親
上記のような毒親には当てはまる方は少ないと思いますが、もう一つの、自我が強い毒親に該当する方はたいへん多いと思います。ちなみに私もこちらに属していました😩
自我が強いとは、自己肯定感が強いあまりに過信した心と言い換えられます。
特に多いのが『自分は勉強ができた、スポーツができた、多くの友達がいた』という自我があるため、我が子に対しても同じことを期待し、そしてコントロールしようとしてしまうのです。
我が子とはいえ、子は別の人間であり自分のコピーではないのでそれぞれに個性も違います。しかし、その個性を無視して自分勝手な希望を子に託そうとしてしまうのです。
また、我が子可愛さのあまり、過保護になってしまい何でも先回りして手を貸してしまうのです。 子の為にとやっているのだと思っていても、結局は子供を自分の引いたレールに乗せて走っている姿を見て、自己満足に耽っているだけです。
そうは言っても、子がある程度まで成長するまでは親の教育は必須だと言われるでしょう。
確かにその通りです、親が子を育てる責任がありますので、手を掛けるのは当然のことですし、子供の幸せな未来を願う親ばかりです。
しかしながら、子供の意向を無視した行為はいずれ毒になります。そしていずれは子供から『毒親』と陰で囁かれてしまうでしょう。親としてこんな悲しいことはありません。
そうならない為に、子育てする親は常に自己反省をして、そして自我没却に努めなければなりません。 私も子供をコントロールする悪い癖がありますが、少しずつ解消できています。
すべては、解脱会の教えを学ばせて頂いてるお蔭様です。読者の方も『毒親』にならないように気をつけましょう。
かしこ
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