人から言われた事を素直に聞き入れ、実行に移す。
一見、簡単そうですが意外に難しい事なのかもしれません。
忠告は人生の糧
人があらゆる事を学び成長していく中で「素直」はとても必要な事です。
人から言われた忠告を「はい!」と返事して、聞き入れれば、その事が自分の血となり肉になります。今後の人生で何かの役に立つ道具になるかもしれません。
しかし、分かっていてもなかなか出来ないのが人間というものです。
この記事を読んでいるあなたも「そんなこと言ったて💢」「うるさい、そんこと知っている💢」と、折角の忠告を無視してしまったことが、幾つかあるのではないでしょうか?
私も案外頑固な質で、特に両親に逆らった事が結構ありました。今になって思えば、大抵の親からの注意は正しい事が殆どでしたので、自己反省あるのみです。
プライドは成長を妨げる
一般的に子供の頃は、素直な心を持っている筈です。親から、或いは小学校の先生から叱られたり注意された時に、「はい」と答えて正そうとします。ところが、大人になるにつれて素直さが薄れていき、口答えをしたり、聞き入れなくなってしまいがちです。
なぜそうなるのか?
それは「自我の確立」とか「アイデンティティの確立」というものがあるからだと思います。もちろん、これらは人間の成長過程で必要な事ですから否定しませんが、人生経験を積む中で生まれた「自信」や「プライド」が、時には、人間的成長を阻害する要因になり得るのです。
人から忠告されても「そんなことは知っている」とか「誰がお前の言うことなんか聞くものか」という思いが湧き、耳を塞いでしまいます。
老後からの改革は難しい
高齢になればなるほど、さらに素直な心から遠ざかってしまいがちです。よく、「偏屈」で「頑固」と罵られる老人をみますが、とにかく、高齢者には人の忠告を聞かない方が多いですね。
しかし、例えば、70歳の方は70年間生きてきたわけです。ここまで年を重ねてくる中で様々な人生経験を積んできてます。ある日、その経験して身に付けた「自分の考え方」を、人から間違っていると言われたらどうでしょうか。すんなりとは認められるでしょうか? 中々そうはいかないでしょうし、たとえ分かっていても改められないんじゃないでしょうか。長い年月掛けて築き上げてきたものを改修するのには、かなりの行動力が要りおますからね。ある程度しょうがない事だとは思います。
では、逆に若者ならみんな素直かといば、そんなこともありません。20代でも頑固者だったりする残念な人もいますから。
ですが、人間は幾つになっても改革できる筈です。
生きている限り素直のままで
私は「素直」であることは「宝」だと思います。
人が、人間的成長をして人格完成を目指す時、とにかく「素直を心」で、まずは人の話を聞く事が大切であると感じます。耳で聞くのではありません、魂で聞くのです。そうすれば、必ずその忠告は後の自分に生かされる筈です。そして、実行に移した時、はじめて人は成長できるのです。
解脱会の教えを学んでいる中で様々な会員さんを見てきましたが、やはり、支部長さんや指導者から受けた勉強を「素直」に聞き、実践してきた人は必ずと言っていい程、良い方向に向かって幸せになってます。
逆に、言われた事を信じきれず実践業を怠ってきた方は、残念ながら良い方向に向かっていません。
「素直」と「偏屈」。あなたはどちらの人生を選びますか?
かしこ
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