父の納骨式

山口家先祖代々の墓 3. 日常生活

昨年の9月21日に父を亡くしました。

満年齢で昨年の12月に79歳でした。現代の日本の平均寿命からするとやや早い死ではあったかもしれません。

あまりにも突然の死の知らせに頭が呆然となりました。全く危篤の心配などなかったのです。悲しみで胸が一杯になりました。

お通夜はほぼ身内だけで行いました。家族葬の割には大きめのホールで行えましたが、コロナ禍ということもあり友人知人の御列席はなるべく控えてもらいました。それでも解脱会会員さんを含め本当に親しかった方たちにはご列席いただきました。父も大変喜んだと思います。

告別式は身内と少数の解脱会会員さんのご列席で行いました。覚悟はしていましたが、最後のお別れは本当に悲しく、そしてとても辛かったです。

式が終わり父のお骨が入った骨壷を私が抱き抱えて母に家に行きました。兄が父の為の祭壇を作り、写真と骨壷を置いてお供え物を置きました。永らくショートステイや有料老人ホームや特別養護施設に転々と入所したり、時には家に帰ってきたりとここ数年落ち着かない生活を父はしていたので、今度こそ家に帰って来れてホッとしたかもしれません。

優しかった父。海が好きだったので、海をイメージした祭壇にしました。

父の心の様に、よく晴れて暖かい日でした

すごく綺麗で立派なセレモニー会場で行えました。父も喜んでくれたと思います。

その後、よく晴れた2021年11月20日のお昼に、成田メモリアルパークにて父の納骨式を行いました。
秋晴れの中、家族と親戚が集い滞りなく式を終えました。
ここ山口家のお墓には、年二回ほど家族でお墓参りに訪れるのですが、こうして親族一同で集まったのがなんだか不思議な感覚がしました。
四十九日を過ぎ、父もようやくお墓に納まったわけですが、やはりお骨が納まるとホッとするような寂しいような複雑な心境です。母もまた泣き崩れてました。
それも仕方ありません。私たち家族は江戸川区なのでこの場所まで車で約一時間で来れるので、さほど遠くには感じませんが、母と兄は川崎市なので私たちより倍くらいの距離があるので、そうそうはお墓参りができないので、余計に離れてしまう悲しみがあるのでしょう。根本的に、大切な家族を失くしてそんなに早くは立ち直れないと思います。哀しいのなら泣きたいだけ泣けば良いと思います。

父の心の様に、よく晴れて暖かい日でした

皆、父のことが大好きでした。
きっと今は霊界に入り、金剛様にお会いしていることでしょう。
生前は解脱会の支部長のお役目に就いていたので、金剛様からご指導をいただきながら霊界から人をお導きするお御霊になることと思います。

川豊別館のお庭

成田川豊別館の庭

式後、場所を移して皆で昼食をいただきました。成田で美味しい鰻を食べさせてくれる川豊です。本館は成田新勝寺の参道にあるのですが、今回は別館に行きました。
こちらの鰻はほうとうに美味しいです。ふっくらとして脂が乗っているのに、しっとりとした味わいでなんとも言えなく美味しい。炭火の香ばしさもたまりません。

成田新勝寺に一年の御礼参り

父が深く信仰していた成田山新勝寺のお不動様

皆と解散した後に我々家族は成田不動尊に一年の御礼参りに出させていただきました。
今年も家族一同が健康であったこと、病気や交通事故に遭うことなく一年を過ごせたことに深く感謝をしてきました。それと共の、亡くなった父の生前感謝も申し上げさせて頂きました。
父は成田の御不動様に信仰が厚く、御不動様からとても守られていたと思いますので、よくよく感謝の念を捧げさせて頂きました。父のお不動様を大切にした心は、しっかりと引き継がせて頂きます。

成田さんの銀杏の木

成田山新勝寺の銀杏の木。黄葉が綺麗でした。

11月も下旬に差し掛かろうという時期なのに成田山ではまだ紅葉がいまひとつ。
ですが、銀杏の木はとても綺麗に黄葉していました。人だかりが出来ていて、皆写真を撮っていました。

青空の元、とても良い父の納骨日とさせて頂きました。

かしこ

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