今回は宮沢賢治さんの短編集二冊を読み終えたので感想を書きます。
幻想の世界
今回宮沢賢治の短編小説を二冊続けて読みました。
正直な感想、どの話も面白くなかったです。殆どの話が擬人法を用いていてるので、掴みどころのないフワフラした内容です。良い言い方をすれば幻想的とでも言うんでしょうか。
動物の話はまだいいとして、電柱や鉄道信号機を擬人化した話だったりして、ちょっとついていけない感じ。星座を擬人化した話はまだ読めたかなって感じです⛎
そこはまだいいとして、小説として内容が面白くない。これにつきます😮💨
あと、文章中ひらがなが多くて読みにくかったです。
小説を読むには適度に漢字がないと、スラスラ読めません。本来漢字で書くべき字をひらがなで書いてあると読んでいて引っかかってしまい、読むのに時間が掛かってしまいます。これでは読みづらい。
逆に、難しい漢字が多用される小説も読みづらいです。ルビがふってあっても普段使わない漢字だと意味が分かりませんからね。
要はバランスだと思います。でも、このバランスこそが、如何に小説を楽しく読ませるかという要素では大切だと思います。そう考えると、現代の小説家たちの本は本当に読みやすいです。
それでは全部の作品が面白くなかったのかというと、決してそんなことはありません。
やはり永遠の名作である「注文の多い料理店」と「銀河鉄道の夜」は、面白い。
どちらも、今回で二度目の読書となりましたが、改めていい作品だと思いました。
注文の多い料理店はブラックユーモアの祖先かもしれない
「注文の多い料理店」は、私の大好きなブラックユーモアが効いていて、とても好みの話です。昔なんかの本で、ブラックユーモアの巨匠であられる阿刀田高さんが、この小説をを取り上げていてたと思います。たしか、この作品に影響を受けたとかそんな様なことが書かれていたと記憶してます。
この作品を最初の読んだのは十代の頃だったと思います。大まかな話はもちろん覚えていたのですが、やはり細かな部分は忘れてますし、それと以前読んだ時には気付かなかった部分にありました。
一つは、はっきりとは書かれてないのですが、二人の男を食べようと企んでいたのは猫なのかということ。犬が室内に入ってきたところで、扉の向こうで「にゃあお」と言っていますからね。
二つ目は、ラストの描写が実に怖くて面白いと言うこと。紙屑のようになった顔は、お湯に入っても元に戻らなかったという表現は、笑ってしまうんですがゾクっとする怖さがあります。男二人が料理店に入り何者かに食べられそうなったメインの部分がブラックユーモアとして印象に残ってましたが、最後のオチもブラックユーモアだったんですね。しかもこの表現は、大好きな阿刀田高さんの表現に似ていて、実に私好みです。
この作品が初出版されたのは1924年(大正13年)。こんな大昔にブラックユーモアを書いてる作家さんがいたなんて凄い! 元祖ブラックユーモア作品と呼ばせて頂きたい!
ただ、宮沢賢治の他の作品にはこの手の話はない様ですね。
やはり読み返すと、新たな発見ができますね。再読はこれだから面白い😌
銀河鉄道の夜は美しくも悲しい物語
短編小説の中でも、やや長めの話の「銀河鉄道の夜」。
やはり、宮沢賢治作品といえばこれでしょうか。
残念ながら宮沢賢治さんの小説はフワフワしすぎていて、私には合いませんでしたが、「銀河鉄道の夜」は「注文の多い料理店」同様面白い。
この話も読むのは二回目なのですが、一回目よりも深く読めたと思います。
読んでいる、自分も夜空の銀河を列車に乗って、美しい星々や天の川を列車の窓から見ているような気分になりました。私だけではなく、この作品を読むと皆、このような幻惑に包まれるのではないでしょうか。
頭の中で空想される銀河の景色が、本当に綺麗なんです。そして、とても幻想的です。
これが不思議なんですよね、現実には見たことないのに、なぜが空想の世界では実に綺麗に見えるんですよ。これだけ銀河を美しく彩る作品は、他にはないんじゃないでしょうか。
列車に乗ってくる乗客も味があって面白い。特に鳥捕りが鷺を捕まえているシーンも、なんだか面白くて綺麗。雁のお菓子がなんだかとても美味しそうに感じました🤤
そのあと登場する青年と男の子と女の子は、天上に向かっているのですが、これな天国に向かっているのでしょうか‥‥
そう考えるとなんか切ないです。
そして、ジョバンニとカムパネルラの列車の行き着いた先はきれいな野原。
ジョバンニの妄想⁉️はここで覚めて、現実世界に戻るのですが、そこでは悲惨な出来事が待ってました。ここで話は終わるのですが、切なく虚しく、なんともやり切れない気持ちになりました😢
幻想の果ては、虚しい現実ということなんでしょうかね‥‥
この「銀河鉄道の夜」は未完のまま著者の宮沢賢治が亡くなったそうですが、未完と言っても話は完結していて、途中で抜けている原稿あるとのことです。
この作品はさまざまな解釈があっていろんな考察がされてるみたいですが、宮沢賢治さんはもう亡くなっているので、真の解釈は永遠にできないでしょうね。
冒頭に書いた通り、この二作品は傑作だと思いますが、他の作品は全く良さが理解できませんでした。
音楽の世界でも生涯ヒット曲が一・二曲しか無いというアーティスト、所謂「一発屋」がいます。ただし、そのヒット曲が超大ヒットして、後世に名を残すことになるのですが、宮沢賢治さんもこのタイプだったのかもしれません。
まあ、飽くまでも私の感想ですけど。
かしこ
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