親が間違えると、子も間違える。

親が間違えると子供の間違える。 1. 解脱の教え

親として、自分の子供が思い通りにならないと「どうしてなんだ」と、ついつい子を責める気持ちになりがちです。しかし、反省すべきは親なのです。今回はこれについて語ります。

コントロールが効くには中高生まで

 私には二人の子供がいます。長男長女で歳は四つ離れています。
小学生〜中学生くらいの時には、それぞれの特徴を見極めて将来はこういう職業が向いているんではないか、それにはこういった大学に進めるべきではないかと夢想していたものです。
そんな夢想はやがて親としての「決めつけ」になり、いつの間にか思い通りのレールに子供を乗せようとしてしまいます。しかし、当の子供にとってはそれは「押し付け」でしかありません。自分がやりたい事、進みたい道があるのに親の意に沿わせられ、不満を持ちながらも仕方なく親の言うことに従う。この様なことが、少なからず私も子供の頃にもありました。
 愚かな事であるのに、今の私が自分の子供に同じことをしてきた節があります。どうしても親と同じ間違えを自分自身も繰り返してしまいました。
しかしながら、子供を自分の考えに合わせようとコントロールできるのは、せいぜい中高生までです。高校生といっても、せいぜい一年生までだと思います。
親から言われたことではなく、自分で考え自分で選択する様になる年頃には、もう、親の願望など聞き入れず、逆に反発する様になります。それは人間的自立に向かっている成長なので、親としては少々寂しいことではありますが、温かく見守るべきなのでしょう。

娘の告白を受け止める

 先日、娘から「私ももう18歳だなので、本当のこと言うと解脱の教えをやりたくない。」と告白されました。私はてっきり、子供達は解脱の教えを学ぶことに抵抗がなく、青年部活動にも参加してくれるものだと思い込んでいましたので、この告白はかなりショックでした。
なぜ、解脱を学ぶことが嫌なのか聞いてみると、娘が中学生の時に、学校の行事を無視させて無理やり解脱の行事に付き添わせられたこと等があったからと話してくれました。
言われてみると、子供自身の少々の用事は休ませても強引に解脱会の行事に参加させてきたことが度々ありました。それが正しいことだと思っていましたが、とんでもない過ちです。こんな自分のエゴを通す様なことをしてきたら解脱会が嫌になってしまって当然です。
私はこの事から深く反省し、氏神様にて間違った自分をお詫びさせていただきました。
 後日、娘と向き合い今後のことについて話し合いました。私としては、どうしても嫌ならば解脱会の教えを積極的に学ばなくてもよいと話し、ただ、神様に守られる人間になる様に、今まで通り家族での神様参拝(御霊地、不動尊、弁天様等)に参加して、できれば感謝会には出席して欲しいと提言しました。すると娘は、快く承諾してくれました。そして、家の御神前でのご挨拶や天茶供養も今まで通りしてくれてます。実にありがたいことです。
いつの日か、心から解脱の教えを学ぶ時が来ることを焦らずに見守っていこうと思います。

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願い破れて悔やむ気持ち

 今年、長男は大学を卒業になるはずでしたが、取得単位が足らず叶いませんでした。ただ、あと少しなので前期で卒業できそうであるのが救いです。
お陰様で娘は高校を卒業できましたが、いろいろな事情があって大学に入学は叶わず浪人することになりました。しかし、本人はショゲず前向きに捉えているのが救いです。
 長男の卒業にせよ、長女の進学にせよ、私はずっと御霊地でも地元の神社でも「どうか子供にとりまして相応しい就職先、相応しい進学先に進めさせていただきます様に」とご挨拶し続けてきました。
しかし、息子の大学卒業ができない知らせを受けた時も、娘の大学不合格を知った時も、私は感謝の心を置き去りにしてしまいました。「もう少し頑張っていれば」「もっと良いプランを立てておけば」と悔やむ気持ちが先行してしまったのです。この時だけは、やはり子を思う親としての性が出てしまったのです。

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