神様の鏡には自分自身の全てが映ります

神鏡 1. 解脱の教え

神社に行くと、本殿や拝殿に鏡がありますよね。自宅や事務所などに神棚を祀っている場合も神前に置かれていることがあります。
今回は、この「神鏡」について語りたいと思います。

ありのままの自分

 神社にお参りする時、どんな心持ちでしていますか❓
何かの願掛けでしている時もあれば、健康や商売繁盛を祈念する時もあるでしょう。また、感謝の心で参拝する時もあると思います。
いずれの場合でも、神に正対して手を合わせてる状態だと思いますが、もし、目の前に「神鏡」があったならば、そこには何が写っていますか❓
そこには紛れもなく自分自身が写っているはずです。神鏡をよく見てください。そこに写っているのは自分の外見だけではなく、心の中まで写っている様な気がしませんか❓
 神鏡には自分の良いところも悪いところも、すべてが映し出されているのです。
自分の良いところが見えるのは気分がいいですし、もちろん抵抗もないはずです。しかし、自分の良くないところが見えるのは良い気はしませんし、できれば見たくないのではないでしょうか。
「神鏡」には、ありのままの自分が映し出されます。神様に正対するということは、すなわち、嘘偽りのない真実の自分であるということなのだと思います。

神の前では素直

 昔から「お天道様は見てる」というフレーズがあります。
人の目は欺けても太陽は見ている、神仏にはすべてお見通しという意味です。ですから、神仏に正体したときには、人には絶対言えないことも、記憶から消したい過ちも、隠すことはできません。
神仏に手を合わせる行為も、神仏と自分が一体になるという心の表れだと思います。

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 だからと言って、神の前では卑屈になってはいけません。では、どうしたらいいのか‥‥
それは素直になることです。包み隠さないでありのままの自分を曝け出すのです。そうすれば、きっと神に我が心が通じると思います。
 誰でも人間である以上、大なり小なり過ちを犯しているものです。中には、知らず知らずに作ってきた罪もあるでしょう。そのことに気づいたのなら、お詫びをさせていただくことが大切です。
我々解脱会員は、地元の氏神様や御霊地の大神様にて、間違ってしまった事をお詫びさせていただきます。過去に作った罪は、もう消すことはできません。しかし、心からお詫びをし、自己反省をすることはできます。そして、同じ過ちを繰り返さない様に努力するのです。

 「神鏡」は神の心であり、また、自分自身の心でもあると思います。神様に沢山参拝しましょう。

かしこ

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