匂いの記憶

3. 日常生活

 ちょっとした事がきっかけになり、人は昔のことを思い出す時があります。今回は「匂い」による記憶の想起について語りたいと思います。

夏の日の思い出

 私は夏が好きなので、夏の日の思い出が蘇るような「匂いの記憶」が色々あります。
梅雨時期、通り雨が降った後のアスファルトから漂う匂いを嗅ぐと「もう直ぐ夏が来るんだ」とワクワクするような気分になります。雨に打たれた草花のからも、同じような夏の匂いを嗅ぎ取れます。
蚊取り線香の香りや、シャワーの後に全身に振りかけるシーブリーズの匂いからも、そこには夏の始まりを感じ取ることができます。これらの夏の匂いからは、楽しかった夏の日を思い出すのですが、なんだか切ない気分になったりもします。きっとそれは、もう二度と戻らない若かった頃の「夏の日」を想起するからなのでしょうか😌
 先日、久しぶりに海の近くの旅館に泊まりに行った時、海風の香りを嗅いで、懐かしいけれど哀愁を帯びた気分になりました。真夏の海で過ごした少年時代と青年時代。真夏の太陽の下、海面で波に揺られていた時や熱い砂浜を歩いた時の足の裏の暑さ。岩場で歩いているカニやフナムシ、岩場の水溜まりを泳いでいる小魚たち、そして、一番思い出すの亡くなった父のことです。素潜りに天性の素質があった父はよく、魚介類を取ってきては、私たち家族に食べさせてくれました。モリで突いてきた真蛸や大型のコチを勇ましく掲げ、沖から浜辺に戻ってくる勇ましい姿を忘れる事はできません。そんな、数々の「夏の日」の思い出は、海風によって私の記憶は刺激されます。

大好きな人の思い出

 大好きだった私の祖父母のことは、草の匂い、特に芝生の匂いを嗅ぐと思い出します。
私の母型の祖父母は茅ヶ崎の鶴が台団地に住んでいました。子供の頃から二十歳くらいまで、よく泊まりに行っていました。団地の周りには芝生がありましたので、今でも芝生の匂いを嗅ぐと、この時を思い出します。もちろん、今は祖父母も亡くなったので、もう、大好きだった茅ヶ崎に行くこともなくなりました。なんとも切なく寂しい気持ちになります。
 江戸川都税事務所に行くと、あそこの館内は病院のような匂いがするので、虎ノ門病院を思い出します。私は小学校の頃病弱な時期があり、何度か虎ノ門病院に入院していました。同じ病室の同世代の子や見舞いに来てくれた友達、そして父と母のことを、今でも良く覚えています。なので、病棟ような匂いを嗅ぐとその時のことを思い出すのです。不謹慎ですが、入院していた時は学校に行かなくてすんだので、私的にはちょっと楽しい思い出なのです。
 アジアチックな香りのするシャンプーを使うと、海外旅行に行った時のことを思い出します。グアムやサイパン、そして、クアラルンプールやプーケット、変わったところではフィジーにも行ったことがあります。その時のホテルのアメニティ、シャンプーは外国特有のアジアチックな匂いがしていたような記憶があります。

匂いは忘れない

 その時々の記憶って、意外に覚えてるものです。
その場所の情景や周りの人々、そして、その時の自分の感情などなど、実は色々と脳にリアルタイムで刻まれているのかもしれません。楽しかったさまざまな思い出たち、忘れたくありませんよね。
しかし、いざ思い出そうとしてもなかなか難しいのではないでしょうか。思い出の場所に訪れたり、昔聴いてた音楽を聴いたりすると、当然に当時の記憶が蘇ります。しかし、「匂い」がトリガーとなって思い出す記憶は、表面的な事柄だけでなく、感情的な面も含めたありとあらゆる事柄までもが不思議と蘇ります。そう、その日の太陽の暑さまでも‥‥
なので、記憶の想起に一番重要なのは「匂い」なのかもしれません。匂いの記憶、これからも大切にしていきたいと思います。
 しかし、それでも遠い昔の記憶というのはだんだんと薄れてぼんやりし、いずれ完全に忘れ去られてしまうものなのかもしれません。でも、それでいいのかもしれません。昔ばかり憂いると人は次のステップに進めません。新しい出来事があるからこそ刺激され、人は前に進み、そして成長するのだと思います。
 記憶はそっと胸の奥底にしまっておく。どうしても必要になったら、いつでも取り出せるように。

かしこ

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