宗教はノルマになってはいけない

1. 解脱の教え

 宗教を学んでいると色んな行事・活動があると思います。定例の参拝行事であったり会合であったり、または、その宗教内で自身に任された役目もあるでしょう。時には納めなければいけない金銭もあるかもしれません。
今回は、これらさまざまな行事・活動をしていく上での心構えについて語ってみたいと思います。

やり終えるとホッとしてしまう

 私は解脱会という宗教を学んでいますが、やはり、年間を通していろいろな行事があります。
その他にも自主的に行なっていることもあるので(地元神社への参拝など)、色々と重なると忙しくなります。ですので、時には大きな行事を終えると「終わった😮‍💨」と思い、ホッとしてしまうことがあります。「今年の何々も無事に終わったか、取り敢えず一つ片付いた」という気持ちになりますが、この様な心持ちは間違っていると感じます。これでは宗教行事・宗教活動を、まるで仕事の「ノルマ」のように捉えてしまっているからです。
仕事であれば、例えばそれが販売業であれば、各月毎の販売目標の「ノルマ」を達成すべく努力します。また、あるプロジェクトを立ち上げた際に、いくつかの会議を開かなければならないのも「ノルマ」と言えるでしょう。これらの場合は、ノルマを達成したならば達成感に満たされ安堵することでしょう。そしてそれが、次の仕事への意欲にも繋がります。
しかし、宗教行事・宗教活動は営利業務ではないのです。大切に思わなければならないことは他にあります。

行事に集中して感謝

 特に私がホッとしてしまうのは、特に年末の行事です。
毎年、今年一年の感謝を捧げるために、北本御霊地をはじめ、成田山不動尊、赤坂の豊川稲荷、鎌倉の銭洗弁財天に参拝しています。12月だけでは回りきれないので11月から動きますが、一つひとつの参拝が終わると「参拝できた、次は何処そこへ‥‥」と考えてしまいがちです。
また、各々に一年間の感謝金も納めているので、「これで残り、感謝金として幾ら必要」と勘定もしてしまいます。まぁ必要な金額を残しておくのは正しいと思いますが😼
 このように、一つひとつ終わらせるという心が先行してしまってはダメなのです。これでは、参拝をする本来の意味から掛け離れてしまいます。
ついつい「年内にやり遂げなければ」という焦りの気持ちが起きてしまいますが、それよりも、その時その時の参拝において、心からの感謝を神仏に捧げる事に集中しなければなりません。これは、この年末行事のことだけに留まらず、解脱会行事すべてにおいて心掛けなければならない心構えです。
その為には、終了した事やこれからの事は一旦頭から外して、今のこの時に集中して、心から感謝に没頭することが大切です。

 今回は自分の反省点を題材にして、解脱会行事・活動を「ノルマ」のように捉えるべきではないと書きましたが、あらゆる宗教活動においても「ノルマ」的に行動することは間違いであると思います。
やり終えることを優先せず、一つひとつに集中して行いましょう。

かしこ

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