心にゆとりがあると、人に優しくできる

1. 解脱の教え

 題名通り、人はこころにゆとりがあると、人に優しくできます。逆に言えば、優しいから心にゆとりを持てるのかもしれません。今回は、これについて語りたいと思います。

 人の優しさっていつ感じられますか?私はおもに車を運転している時に感じます。信号のない細い道から大通りに合流する場合などでは、通常は大通りの車の流れがない時に合流するのですが、なかなか流れが切れなくて合流できない時、大通りを走っている車が意識的に止まってくれて無事合流できる時があります。とても親切で優しいドライバーだと感心します。

 逆に、運転している自分にその優しさが求められる場面もあります。信号のない横断歩道では歩行者優先が道路交通法ですから、車は一時停止するのが義務ではありますが、それでも止まってあげると、大抵の方は軽く会釈してくれます。そのとき、ああ、しっかりと停車してよかった。自分は人に優しくできたと感じます。

 車の運転だけではなく、あらゆる場面で人の優しさが問われることは日常的にあり得ます。人から優しくされた、あるいは、人に優しくできたことは、いったいなぜなのでしょうか‥‥‥?

心にゆとりがある

 ひと様に優しくできる人は、心が広いからです。それは、心にゆとりがあるからとも言い換えることができます。ゆとりがあるからこそ、他人のことが思いやれるのだと思います。心に容量があるのだとすると、容量が余っていればそれだけ他人のことも思いやれる余地があります。

心が狭い

 では、ひと様に優しくできない人はどうなのかというと、心が狭いからです。それは、心には自分のことだけで一杯一杯になってしまっている状態です。先程の車の運転の例で言えば、私用か仕事で時間に追われ、先を急ぐがために周りを見ることや人を思いやる気持ちが欠如してしまっています。

人に優しくできる人は特権がある!?

 要は、自分の事だけで心が支配されてしまっている状態、自我が充実していては、人を思いやるキャパシティがなくなってしまっているのです。これでは、人に優しくなんて物理的にできません。しかし、そうはいっても、自分に降りかかった不幸がある場合は、そのことだけに心がとらわれてしまい、なかなか人のことまで気が回らなくなります。では、人に優しくできる人とは、結局のところ、悩み事がさほどなく比較的楽しい人生であったり、金銭的にもまずまず恵まれているなどの幸福感のある人だけが持ち得る特権なのでしょうか??

 たしかに、人間生きていれば地獄のような苦しみを味わう時期もあります。私にも経験がありますが、そんな時は実に心が狭くなってしまい、とてもではありませんが、ひと様の面倒を見る余裕などありませんでした。しかし、たとえそんな状況下であっても、ほんの少しでも家族や友人知人のことを思いやれる心を持ち得たいです。

2つの方法

 心を物理的に例えるなら、容量やキャパシティがあると捉えることができます。自分のことだけでキャパシティを埋め尽くしてしまったら、どうやってキャパシティを増やすか。一つ目の方法は捨てることです。少しずつでも整理して、捨てられる物は捨てていくように努力していけば、捨てた分だけまた余裕が生まれます。この方法ももちろん大切ですが、もうひとつお勧めの方法があります。それは、心のキャパシティを広げることです。例えばキャパシティ100の心を120にまで拡張してあげれば、20だけ今までよりも余裕が生まれ、それを使うことができます。

常日頃の錬成

 では、どのようにキャパシティを増やすか。それは太陽の精神を養うように錬成することです。太陽は善人であれ悪人であれ分け隔てなく光を注ぎます。そして、決して見返りを求めません。わかりやすく要約すると「人に与える喜びを学ぶことです」。常日頃から、ひと様のために頭や体を使って施す。ひと様のことを我が身のように思いやれる心を磨く。このように、なるべく自分ごとを捨てて自我没却に努める錬成をすることによって、心のキャパシティは広がるのです。そうすれば、心にゆとりができて、人に優しくできる自分になれるはずです。

 私たち解脱会員は、埼玉県北本市にある『太陽精神碑』に額ずき、心の錬成をしています。

かしこ

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