家族で参拝する意義を噛み締める

1. 解脱の教え

 今年​も早いもので、残すところ4週間をきりました。年々、一年が過ぎていくのがとても早く感じるようになり、まさに、光陰矢の如しです。年末になると一番しなければならない行事があり、それは、神仏への一年の御礼参拝に出向くことです。解脱金剛さまは、「11月を持って年末とせよ」というお言葉を残されていますが、たしかに11月から年内にしなければならないことに対して行動すると、心に余裕を持てます。とくに、神仏事に対してはこの心がけは大切であると感じています。

 今年は、11月中に信仰関係御守護神である、成田不動尊、赤坂の豊川稲荷、鎌倉の銭洗弁財天に一年の御礼参拝を済ませました。そして、先日に北本宿の御霊地に出向き一年の御礼参拝をしてきました。これをすべて、12月に行おうとするとスケジュールがきつくなりますが、11月から行動していれば問題なく行えます。

 御霊地には、夫婦二人だけの参拝でしたが、成田不動尊と豊川稲荷と銭洗弁財天には、家族四人で参拝をすることができました。息子と娘は、もう二十歳を超えているので、子供だったときのように親の言いなりになる年齢ではありません。もし、神仏への参拝が嫌であれば、家族揃っての参拝は叶わないでしょう。しかし、おかげさまで、ふたりとも嫌がることなく参拝についてきてくれました。

 二人とも、私のような信仰心は残念ながらありません。しかし、それでも、一緒に神仏への参拝をしてくれるのは、誠にありがたいことです。一緒に手を合わせて参拝してくれる、もうこれだけで今は何も言うことはありません。大御神さま、解脱金剛さま、ご先祖さまに心から感謝します。

振り返ってみれば
銭洗弁財天参拝後は、鎌倉の小町通りにある、「こまち茶屋」でもモンブランを食べきました。栗の味がとても濃くって美味しかった。

振り返ってみれば、私とて二十代のときに親と素直に神仏参りに行っていたかというと、必ずしもそうではなかったときもあったと思います。なにか理由をつけて行かなかったときもあったかもしれません。それでも、親と一緒に参拝に出向いたときは、きっと、父も母も嬉しかったのではないかと思います。このときの両親の喜びが、今になってわかった気がします。

 もちろん、それぞれに予定があり、ましてや社会人になると、なかなか都合が合わなくなってきます。そんな中でも、なんとか今年は一緒に参拝できて本当に良かった。さすがに来年以降もずっと一緒に参拝に出向くということは難しくなっていくでしょうが、先のことを今から憂いても仕方ありません。取り敢えず、今年は良かったということで締めさせていただきます。

かしこ

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