この本を手にしたきっかけは、高校時代の国語の授業でこの本が使われていたか、または、夏休みの読書感想文の題材に使われていたかは忘れてしまったが、たしかにこの本が使われた記憶があったからだ。この本は書店の棚で光っていたので、すぐに見つかって購入を決めた。しかし、読み終えても、内容は全く覚えていなかった。前編ではなく「阿Q正伝」のみを授業で取り上げていたかもしれないが、それでも、まったく記憶になかった。よって、懐かしさなどは全く込み上げてこなかった。個性的な書名だから本自体だけを覚えていたのだろうか。今となってはわからない。
著者の魯迅は中国人であり、日本の仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に留学したが、幻灯事件をきっかけに「体を治すことよりも精神を救うこと(文芸)」の重要性を痛感し、中退して文学に転じた歴史的経緯がある。高校生だった当時は、中国人であったことも知らなかったろう。
短編集だが、全体的には面白かった。日本の古典文学とは少々異質ではあるが、読了後の味わい深さは似ているものがあった。
「狂人日記」では、食人の話であり、自分は人を食べなくても、自分の親や兄弟が人を食べている以上、自分も食人であるという主人公の切羽詰まった気持ちがよくわかった。狂気が感じられる話で、短いが面白かった。
そして、メインディッシュである「阿Q正伝」は、やはりこの十二編のなかでピカイチ面白かった。正直、これだけ読めば十分な気もした。これも短編小説では、ほかの作品と比べると少し長く、全九章に分かれている。そうは言っても、一章一章が短いので、すぐに読み終えられる。この作品は、主人公を食べようと思って後をつけてきた狼と、主人公の死刑のありさまを見ようとついてきた民衆との対比が書かれている。これが、実に文学的で面白いと思った。浅ましい人は、お腹をすかした狼と浅ましい心を持った人は同列なのだ。
それと意外だったのが、「明日」という短編で、病院で処方箋をもらって薬屋にいく場面があるのだが、1920年の中国において、病院が処方箋を書いて薬屋で薬を受け取るというシステムが、すでにあったことだ。日本では、昭和時代は医者で薬も処方されて、いつの間にか薬屋が分離したように思っていたが(私の思い違いかもしれないが)、中国ではかなり昔からだったようだ。
懐かしさは残念ながら感じられなかった本作だが、中国文学を(初めて?)読むことができたので良しとしよう。懐かし本の再読、これからもガンガン読むぞーー!
かしこ


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