今回は解脱会出版の本「見えない世界の話 霊界からの通信」シリーズの2作目と3作目をまとめた感想を書き上げます。今回もたくさん勉強になりました。
本書は、シリーズ1作目と同様に解脱会員さんたちの体験談が書かれている。金剛様が残された尊き「御五法修業」によって、苦悩が解消された事例が書かれている。ただ単に事例のみが語られているだけではなく、各事例のあとに「学びの焦点」や「Q&A」、そして、先生方のコラムによって構成されている。これによって、体験談を読み、解脱の学びをさらに深掘りできるようになっているのだ。
この2、3作目も1作目に劣らず、かなり生々しい体験が書かれているので、読んでいて多少ハラハラした。しかし、それだけに深く読み込んでいる自分に気づかされた。さらっとした体験よりも、ディープな体験のほうが読者としては深く引き込まれるのだろう。だから、編集者としても、なるべくそういった体験を集めて本にしたのだろうと察せられる。
我が子の苦悩が解脱の始まり
私も今日まで、この尊い「御五法修業」をさせていただいているが、この修業については、本書で書かれている通りの感想である。それは「御五法修業の勉強は、すべて心で受け止め、肌身で感じること」という感覚だ。これは最早、理屈では説明できず、体験したものだけが味わえる感覚である。一言で表すのなら正に「感動」であると言えよう。
今作は2冊とも、比較的に子供に対する親の苦悩が書かれている体験が多かった。親として、一番に気がかりであり、そして心配する対象は、やはり子供なのだろう。我が子のことで苦しむことによって、解脱の門を叩く者が多いのだと改めて思い知らされた。かくいう私も、やはり子供のことで勉強することばかりである。
霊魂と己は一体である
「御五法修業」は言ってみれば霊修業である。御霊がお下がりになって、修業者に注意すべきことを示したり、生前中の過ちを告白することがある。このことから、この修業の本来の目的を見失い、間違った解釈をしがちである。本書では、この間違いをわかりやすく何度も指摘している。それは、「御五法修業は、自己認識を深めるための勉強である。この勉強から、自己成長して人格完成を目指す」という本来の目的を忘れることである。
どうしても我々凡人は、自己反省ということが苦手である。何かとすればすぐに人のせいにしがちである。これは、「御五法修業」でも同じであり、修業によって明かされた先祖の過ちや悪行があったことを知り、そして先祖のお詫びを氏神さまにて大神様にする。「◯◯家、◯◯先祖の某の罪をお許しくださいませ、〇〇先祖に成り代わってお詫びします」といった具合だ。そして、天茶供養では、「何卒、この供養によって成仏してください」といった祈念を込めて供養する。しかし、これらの心持ちが明確な間違いであると本書では書かれている。これだけでは片手落ちなのだ。
たしかに、先祖が生前中に犯した間違いによって、それが現世の我々に形になって現れる。なので、尊い天茶供養で苦しんでいる御霊を供養し、氏神さまにて御霊の天津罪・国津罪のお詫びをすること自体はいいのだが、そこに自己反省と自我没却がなくてはならないのである。なぜなら、「我は先祖、先祖は我」であるからだ。先祖の間違った心が自分にもあるので、天茶供養で自分自身にも供養し、氏神さまに対するお詫びには自分自身のお詫びもしなくてはならない。この両輪によって、はじめて悪しき因縁が解消され、その結果、己の人格完成が進むのである。つまり、自分が変わることによって人間的向上ができるのである。
最後に苦言
この本を買ったのは先日の建碑祭のときなのだが、この本は2003年と2004年に出版されているが、どちらも重版ではなく初版であった。この本以外でも感じていたのだが、解脱会が出版した昔の本のほとんどが初版である。つまり、解脱会の本はあまり売れていないという事実がある。これは、各本は支部で購入された後、支部から各会員さんに貸し出されているからあまり部数的に売れてないのかもしれない。しかし、本として出版するからには最低印刷部数というのもあるだろうし、どうしてもコストが掛かるだろう。しかし、あまりにも売れないと、いずれは本として出版できなくなり、PDFでのみの出版となってしまうかもしれない。解脱会の本はとても勉強になる本がたくさんあるので、そんな悲しい事にはしたくない。なので、解脱会員の皆さん、もっと本を購入して読書をしようじゃないか❗️明るい未来のために。
かしこ

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