貧乏はしたくないですよね。
裕福とまではいかなくても、お金に困るような生活はしたくはないはずです。住む家があって、食べることが出来て、季節にあった服を着れるような普通の生活がしたいものです。そして、幾らかのお金の余裕があれば尚良しだと思います。
お金があるのに貧乏根性
お金があっても心が貧しい人がいます。
それはどういう人でしょうか?
ずばり「お金」に対する執着心が強い人です。こういう人は、いつも「お金」に囚われてしまっていて、自分の損得を一番に考えてしまいます。例えば、一緒に飲みに行ったとしてもご馳走されることはあっても、人に奢る事ができません。割り勘するにしても、一円単位まできっちり計算したりします⚖️
そして、この様な人達に共通して言えるが「貯金大好きマン」です🏦
個人的に、こういう人との関わりは、プライベートにせよビジネス上であれ、とても疲れます😵
生きていく上で「お金」は大事です。
ですから、浪費する事が良いとも言えませんし、羽振りよく、いつも人に奢ってばかりもどうかと思いますが、あまりケチケチするのも考え物です。「金は天下の回りもの」と言われてますから、使うべき時には、潔くパッと使うことも必要だと思います。そうした方が、人生を豊かに過ごせると思いますし、側から見ても「あの人は豊かな人だ」と思われる筈です。
逆に、いつも計算機叩いている様な人は、例え、そこそこのお金持ちであっても、側から見る「心の貧しい人」とか「ドケチ」に思われるでしょう。
お金があっても貧乏根性では、貧乏人なのです。
貧乏になるには理由がある
では、なぜ貧乏に成るのでしょうか🤔
もちろん、働かず怠けた生活をしていれば賃金を得られないので、当然に貧乏になります。「働かざる者食うべからず」ですね。
それでは、心の在り方によって「貧乏」になる要因とはどういうものでしょうか。
それは、人から得ることばかり欲して、人に施す事を知らないから貧乏になるのです。貧乏人は人から物を貰う事が大好きですが、逆に人に物を譲ったり、ご馳走したりすることが大嫌いです。
この様なケチな性分では、私腹は肥える事である程度の小金持ちには成れるかもしれませんが、所詮は貧乏根性です。「裕福」とは、とても言えません。
心を裕福にしましょう
私は貧乏人になりたくないので、なるべく、「人から得る」:「人に与える」の比率が、必ず「人に与える」の方が大きくなる様に心掛けています。具体的には、人と食事をした時にご馳走をしたり、割り勘であっても自分が少し多めに支払ったりします。もちろん、逆にご馳走して貰う時は気持ちよく奢ってもらいますが、必ず何らかの形でお返しをする様に心掛けてます。
そして人への施しは何もお金だけの事ではありません。
人の為に働きかけることも、立派な施しです。例えば、友人が引っ越しをすることになり、家財の持ちは運び等の手伝いをした後に、「働いたんだからお金をくれよ」なんて言いませんよね。大抵は無償で手助けをしてあげると思います。
自分の利益や都合をまず忘れて、人の為に施せる様な人は、「豊かな心」であり「裕福な人格」とも言える思います。こういう人は、人望が厚いですし、不思議とお金も持っている事が多い様に感じます。
このように、心が貧しければ貧乏になり、心が豊かなら裕福になります。
解脱会では北本御霊地に「太陽精神碑」をお祀りしてます。この碑は「与えて求めぬ太陽の心、無私大愛の精神」を象徴したものです。
我々解脱会会員は、太陽精神碑の御精神を我が精神とすべく日々学んでいます。
貧乏根性を改め、豊かな心を磨いていきたいもです。
かしこ
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