宗教アレルギーを克服しよう

宗教アレルギー 1. 解脱の教え

今の日本には宗教アレルギーが蔓延してます。

私自身も解脱会の会員であり、この素晴らしい教えを少しでも伝えたいと日夜考えてますが、だからといって、友人知人に対して解脱の話を気軽にできるかというと、中々そうはいかないのが現状です。
ただ、飲み会の席などで宗教の話などの話になったときは、「私は解脱会という教えを学んでいる」とは告白できます。しかし、「ぜひ、一度話だけでも聞いてみないか!」とお誘いをするまでには至りません。なぜならば、お誘いをすることによって、嫌われないだろうか、敬遠されないだろうかとネガティブに考えてしますからです。解脱会も「宗教」であることに違いはありませんから。

それならばと、ネットブログで少しでも解脱会の素晴らしさを伝えようと、この「感謝報恩で行こう」を始めたわけです。個人ブログならば周りの目も気にせず、気兼ねなく世間に語り掛けれますからね。

なぜ、宗教は嫌われるのか

では、何故に「宗教」という言葉自体に良くないイメージを持たれる様になったのでしょうか?

もっとも、昔から宗教家を嫌う人は居たはずです。昭和の戦前でも戦後でも居たと思います。
しかし、近年になって、更に「宗教」に良くないイメージを持たれる様になったと感じます。
ここ数十年の間で、数々の「明らかにおかしい新興宗教」がテレビやネットで取り上げられてきましたが、その中でも特に「オウム真理教」の事件は世の中を大きく騒がせました。

この事件が、ますます宗教団体への悪い印象を世の中に与えてしまったと私は感じてます。
その理由は、オウム真理教は人殺しを計画実行する様な、明らかに狂った宗教団体だったにも拘らず、信者の人数が一万数千人もいた事と、かなりの学歴のある人達が教団の幹部を務めていたという事実にあると思います。
世間の人は、この事から「宗教」をどう捉えたかというと、
「こんなに大人数の信者がいるなんて!よほど言葉巧みに勧誘をして洗脳したに違いない。」
「頭の良い人達がこんな狂った宗教団体に入会して活動するなんて!やはり宗教の洗脳は恐ろしい」
等々という考え方が世間に広まったんじゃないでしょうか。
結果、「宗教」というだけで毛嫌いして顔を顰める様な、「宗教アレルギー」を持つ人が日本で増えてしまったと感じます。ちなみに、宗教アレルギーに性別・年齢は関係ないとみてます。

話を聞く事から始めよう

食べ物のアレルギーは体が受け付けないので、なかなか治す事はできないのですが、宗教アレルギーは改善できると思います。
まずは、話だけで聞いてみるだけで十分です。何も話を聞いたら入会しなければならないとか、いきなり教団施設に連れていかれるとか、そんな風に構える必要は全くありません。(中にはかなり強引な方法で入会を迫る宗教もあるかもしれませんが)

牛乳アレルギーの人はアイスクリームを食べれません。アイスクリームは甘くて美味しいモノだと分かっているのに食べれません。とても残念な事です。
しかし、宗教アレルギーの場合、何も宗教の話を聞いたりするだけで体に蕁麻疹ができたりするわけではありませんよね。食べ物のアレルギーの比喩で言えば、とりあえず口に入れる(話を聞く)までは出来る筈です。もしかしたら、今まで毛嫌いしていた「それ」は、意外にも美味しいモノ(良い話)だったと発見できるかもしれません。
ですから、鼻っから寄せ付けないで拒否するのは、もったいない事ですし大損だと思います。

解脱会の教えは、とても素晴らしい宗教です。宗教アレルギーで敬遠せずに、まずはどんな教義なのか、どういう思想なのか、感謝報恩とは何なのかだけでも話を聞いてもらいたいです。まずは何事も体験してみなければ物事の良し悪しも分かりませんから。

かしこ

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