今回は「どうして人は宗教を求めるのか?」について語ります。
宗教に頼る理由
どういう時に、人は宗教に頼るのでしょうか。
おそらく、一番の理由は悩み事を解消する為だと思います。
人それぞれ悩み事も様々で、人間関係、病気、仕事上の困り事、家族上の困り事etc‥‥があります。
これらの悩みや苦しみから脱したい、救ってもらいたという思いで、宗教の門を叩くのが一番多いと思います。
では、特に悩み事がない人は宗教にはまったくの無縁であるかというと、そうでもないと思います。
最近流行りの占い等に深く嵌り、その宗教に夢中になる人もかなりいる様です。
または、元々、神仏や霊魂に興味があるので入信するという人もいるでしょう。
いずれも場合も、今までの自分では知り得なかったことを学び、そして、自分を高めて幸せになる為に宗教を求めるのです。
宗教は良い教えである筈です。
そう考えれば、宗教に入信して学ぶということは、とても良い行いだと言えます。
その宗教を学ぶ事で人間性が磨かれ、人格が向上するならば、その人にとっては大変素晴らしい事です。周囲から「あの人はとても良い人柄だ、やはり宗教を学んでいるからだな」と言われることがあるならば、それはとても喜ばしい事である筈です。
そんな「良い宗教」を学んでいる筈なのに、「私は◯◯宗教に入会している」とはなかなか言い出せないのが今の日本です。
どんな宗教でも、自分が入会している宗教は良い教えだと思っているからこそ、信仰している筈なのですが、いざとなると、周りから奇異の目で見られる事を恐れて言い出せないものです。
それでも、自分の家族や大切に思う人には、自信と誇りを持って、自分の学んでいる宗教を伝えるべきであると私は思います。
宗教には安心感がある筈である
私も解脱会の会員であり信仰するものとして絶対的に言えることは、学んでいることで「安心感」を得られているという事です。
生きていれば良い事ばかりではありません、様々な困難にぶつかることも多々ありますが、宗教に対して絶対の信念があれば何事も乗り越えていける筈です。ちなみに私は、解脱の教えは絶対に間違いのない教えだと確信しているので、日々安心して暮らせています。
この様に、宗教を求める理由の中で、安心立命の生活を送るという事が大きいと思います。
例えば、病気をしたり、お金に苦労しても、宗教を学んでいる人と学んでいない人では抱える苦悩の捉え方に相違がある筈です。
宗教は欲望達成にあらず
宗教に求めるものは、幸せな人生を送ることだと思います。
しかし、その幸せの定義は何でしょう?
苦労がなくて、金銭的に豊かで、病気知らずの人生が送れることでしょうか?
もちろん、苦労ばかりすることは嫌ですし、貧乏するよりお金持ちの方がいいですし、病気になんてなりたくありません。
しかし、これらは全て人間の欲望です。自我充実する為に宗教を取り入れる考え方は間違っています。もし、欲望を満たす事を目的とした宗教があったとしたら、それは、おかしな宗教だと思います。
欲望をどんなに膨らませても、最後は破裂して惨めになるだけです。
感謝報恩の宗教でありたい
では、宗教に求める正しいものは何か?
それは、「人格完成」が目的であると言えます。
そして、解脱会の教えを学ぶ私としては「感謝報恩」の心に満たされる自分になる事だと考えてます。
感謝の心を常に忘れず、報恩の心で実践すれば、何事も必ず良き方向にいくからです。
宗教を求めることは良い事です。
しかし、宗教は心の拠り所などという気持ちで学ぶのは浅はかな考えです。そんなご都合主義で学ぶものではありません。
正しい心で宗教を求めましょう。
かしこ
コメント