食物に感謝

日本の定食 1. 解脱の教え

食物に感謝しましょう。
なお、この記事は私の旧ブログからの転載したものに修正加筆をしたものです。

我々は食物無くして生きることができません。
せいぜい持って一週間、おそらく二週間飲まず食わずで生きられないんじゃないでしょうか。
現代の日本国であれば、ほとんどの国民は食べられなくて餓死する様なことはないでしょう。三度三度食べられる環境だと思います。

食べ物の好き嫌い

食物が常にあることが日常であり、当たり前になってしまいますね。そうなると食べ物に対して好き嫌いが始まります。ちなみに私は納豆が苦手で進んで食べません。
食生活が豊かだと、どうしても選り好みをする様になります。好きな物を好んで食べて、自ら進んで嫌いな物を口にしなくなります。
食べ物の好き嫌いを尋ねた時、殆どの人が何かしらあります。以前、そういうテーマを面白おかしく演出しているTV番組もありましたね。

しかし、もしも食物が容易に手に入らない事態になったらどうでしょう?
そんな好き嫌いなど言ってられない、とにかく食べなくてはと考える様になるはずです。食糧不足の中、比較的納豆が入手できるとなれば、流石に納豆嫌いの私でも喜んで食べると思います。

食べ物には『命』があります

我々日本人は、食べ物に関してバラエティー豊かな生活ができています。そうなると、食べられることへの感謝が薄れがちになります。好みじゃないものが食卓に上がると不平を言ってみたり、嫌いだから、不味いからと言って平気で食べ残しをしたりします。

食べ残した食物はどうなるのでしょう?
大抵の場合は破棄されてしますのではないでしょうか。飲食店での食べ残しは間違いなく棄てられます。
食べ物は、肉にせよ魚にせよ穀物にせよ、必ず命あるものです。その尊い命を犠牲にして我々人間は自分の命を繋いでます。ですから、食べ残して捨てるなんてことは、食物を無縁にしてしまう大変な不徳の罪になります。
それでも、どうしても苦手な食物が出された場合は、一切手をつけず他の人に食べてもらう様にするのがベストでしょう。私はそうしてます。

食べ物に感謝の気持ちを忘れずに

食べ物を選り好みするのは、絶対してはいけないと言ってるわけではありません。
人それぞれ特色がある様に、食べ物に対する好みもあっていいと思います。肉は好きだけど魚は苦手、野菜は嫌いだけどフルーツは好物etc‥‥ ただ、「好きな食べ物は沢山あるけど、嫌いな食べ物は無い」というのが理想ですね。

解脱会の教えは感謝する心を学ぶ宗教と言えます。私も子供の頃に食べ残して師匠より叱られた記憶があります。ですから、今もなお、食べ残しをしないように日々の生活で心掛けています。
食べ物を頂くときは、必ず手を合わせ(できない時は心の中で)感謝して頂きましょう。

かしこ

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