お賽銭は課金にあらず

神に課金 2. 社会

私はYouTubeが好きでよく見てます。
YouTubeでライブ配信している時に投げ銭するシステムがありますね、所謂スパチャ機能というやつです。
結構な金額をポンポンと投げ銭しているのをよく見ますが、なんかこの光景ってどこかで見た様な気がします。そうです、初詣でお賽銭を放っているのと同じ光景です。

課金をすれば楽しい

スパチャで投げ銭する意味は、主催者が質問等に対して優先に回答してくれるからだと思います。
あるいは主催者を応援するために、または、ただ単にその場のノリでする人もいるようです。
気前よく、どんどんとお金が投げ入れられるその光景は、何だか楽しそうではありますが、少し異様な感じも受けます。
しかし、私にも経験がありますが、自分の好きなユーチューバーに自分の質問を読んでもらい、回答してもらうと、とても嬉しいものです。この快感はやった事ない人には理解できないかもしれません。

ただ、この手のYouTubeライブ放送は、別にお金を掛けなくても視聴者として参加して楽しむ事ができます。つまり、言ってみれば投げ銭は「課金」なのです。
課金をしなくても楽ますが、課金すればもっと楽しい!というシステムだと思います。
課金するしないは完全に視聴者の自由なわけです。

では、お賽銭も「課金」なのでしょうか?

神様に課金はない

答えはNOです。
神仏はお金を欲していませんから。

関連動画

スパチャは高額な投げ銭をすると自分の質問が読まれやすくなりますし、イベントに「参加してる感」もより一層高まって愉快な気分になれるでしょう。

もしかしたら、初詣でのお賽銭も同じ感覚で投げ銭をしている人がいるかもしれません。
「100円玉や500円玉を投げるより、思い切って5,000円投げ込んだ方が神様がオレのお願いを聞いてくれそうだ」とか「正月なんだから気前よくパッとお金を投げよう!今年は良い年になるかも」など。

残念ながら神仏はお金をたくさん払った人の願いを聞いて、少額の人は無視するなんてケチなことはしません。神仏の御心は与えて求めぬ太陽の心です。差別なく我々を守ってくださいます。
なので、お賽銭に入れるお金は「願掛け代」の課金ではないのです。
「感謝の形」としてさせて頂くのが正しい考えです。

あと、お賽銭を投げてる姿は、神様にお金をぶつけてるみたいで何だか嫌ですね。「ガチャン」と音がすると尚更見ていて嫌な気がします。
届かないので投げるしかない時もあるでしょうが、なるべく静かに入れたいものですね。

かしこ

コメント

タイトルとURLをコピーしました