先祖供養をするときはどういう心境で供養するでしょうか。お寺のお坊さんに法要などでお経を上げてもらうのが一般的な先祖供養ですが、お墓参りはもちろんのこと、自宅の御仏前で御供物などを捧げるのも立派な供養です。いずれの場合も、ご先祖様に対する『供養』であり、そこには感謝の気持ちや、人によってはお詫びの気持ちもあるかもしれません。
しかし、先祖供養をするということは、自分自身への供養でもあるのです。今回はこのことについて語ってみたいと思います。
先祖から引き継いでいる
我々は誰から生まれたのでしょう❓️それは間違いなく母親から生まれており、両親がいなければ生まれてくることはなかったわけです。では、両親は誰から生まれたのでしょう❓️それもまた、親の親、つまり祖父母から生まれてきています。では、祖父母は❓️これも同じ、どんなに遡ってもこの法則は変わりません。
となると、自分自身はご先祖様からの延長上にいるわけです。それはもう長い長い歴史の延長上です。「いや、過去とか先祖とか関係ない、自分は自分だ」と虚勢を張っても、この法則に狂いはないのです。
長い長い先祖とのつながりの中で、たくさんのことは引き継いでいます。それは、良い面でも悪い面でも同じです。人に対する思いやりや優しさを持てる人は、その心は先祖から受け継いだものなのです。逆に、怠け者だったり嘘つきなところも先祖から受け継いだものです。自分が望むと望まざるとにかかわらず、必ず、先祖代々の特徴を引き継ぐのです。
自分が変わらないといけない
「自分がお金で苦労するのは、金銭の間違いを犯した先祖がいるからだ、ならば、その先祖を供養して成仏すれば、自分の経済力も向上していくはずだ。」このように考えて先祖供養をすることは、あながち間違いであるとは言い切れませんが、半分は考え違いをしています。
それは、お金で苦労する自分自身にも、金銭の間違いがある、あるいは間違いを犯す性質があるということです。つまり、先祖だけのせいにせず、自分に対しても自己反省して改める素直な心が必要なのです。いくら、先祖供養して先祖が成仏しても、自分が変わらなかったら意味がありません。
我は先祖、先祖は我
私の学んでいる解脱会の教祖、解脱金剛さまは以下のお言葉を残しました。『我は先祖、先祖は我』です。このお言葉からはたいへん深い勉強をいただけます。先祖の良いところも悪いところも、その子孫は引き継いでいるので、自分自身は先祖の結晶といえるのです。もし、霊界で苦しんでいる先祖がいたとするなら、真剣に供養することによってその先祖は成仏へと進みますが、これと同時に、現世の子孫の苦しみも解消に向かっていくのです。しかし、それには、反省して己の至らなかったことに気づき、謙虚な心で自己反省しなければなりません。先祖の苦しみは自分の苦しみであり、また、自分の苦しみは先祖の苦しみなのですから。つまり、供養するということは、先祖とともに自分に対してもするものなのです。
我が『解脱会』には、尊い「天茶供養」というものがあります。この供養は、先に述べたように先祖とともに自分も変わっていける、たいへんありがたい供養法です。なので、先祖の成仏を祈念して行うのは、些か傲慢なのかもしれません。わたしも、常に『我は先祖、先祖は我』の精神を忘れないように心がけています。
「ご先祖さまの喜びが、自分の喜び」そして、「自分の向上が、ご先祖さまの向上」に繋がるように、これからも正しい先祖供養をしていきたいです。
かしこ

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